医療観察法に関して僕個人が思うこと

こんにちは、たつみです。
改めまして、新年あけましておめでとうございます。

前回新年の抱負の記事を書きましたが、それまでは医療観察法や心神喪失について書いていました。
全体的な流れや制度に関しては説明いたしましたので、当初宣言していたように、

今回は「医療観察法」に関して、今の自分が感じていることを書いてみようと思います。

※この記事は、あくまで一個人である僕の考えであり、精神科医全体の意見ではありません。
また、思うままに書いている部分もあり、ややまとまりや論理性に欠けるところがあるかもしれませんが、その点はご容赦ください。

目次

たつみの立場は?

最初に自分の立場を明確にしておくと、
僕は

「精神科の病気によるものとはいえ、犯した行動には一定の責任を取るべきではないか」

という考えを持っています。

その前提のうえで、この記事を読んでいただければと思います。

簡単な法律関連の振り返り

少し時間も空いたので、まずは簡単に整理しておきます。
押さえておくべきポイントは、次の3つです。

  • 精神科の病気により、正常な判断ができない状態で犯罪行為が起きることがある
  • その場合、心神喪失または心神耗弱と判断され、無罪や減刑となることがある
  • その後、当事者は精神科病院で治療を受け、社会復帰を目指す

これが、医療観察法の大まかな目的・流れです。

医療観察法には意義があるのか?

では、そもそもの問題として
「医療観察法は実際に効果があるのか?本当に再犯は防げるのか?」
という点について。

結論から言うと、実際に効果はあります。

医療観察法によって治療を受けた人の再犯率は、非常に低いことが知られています

  • 1年後:約2.5%
  • 3年後:約7.5%

一方で、一般に刑事罰を受けた犯罪者の再犯率は、おおよそ 50%前後 と言われています。

つまり、多くの場合、
精神疾患によって判断が大きく歪まなければ、そもそも犯罪行為に及んでいなかった
といえます。

実際、治療を受けた人を見ていると、明らかに落ち着いていきます。
「もともとは、こんなに素直な人だったのか」と感じることも少なくありません。

ただし一方で、
「この人、何度も同じような犯罪を繰り返しているよね」
というケースが存在するのも、また事実です。(もちろん数は少ないですけどね)

僕が思う、医療観察法の2つの問題点

僕が感じている医療観察法の問題点は、大きく分けて2つあります。

  • 精神疾患への差別や嫌悪感を、かえって助長していないか
  • 被害者や遺族の感情はどうなるのか

この2点です。

精神疾患への差別について

重大事件が起きた場合、特に報道される事件では、
心神喪失かどうか」が必ずと言っていいほど話題になります。

その中で、よく見かける意見が、

精神科の病気になった方が得じゃないか

というものです。

正直、これは実情を知らない意見だとも思います。
しかし最近、

「精神科の病気=なったもん勝ち」

というイメージが、少しずつ広がっているのも事実です。

これは精神科の患者さんの持つ苦しみ周囲の持つイメージが大きく乖離していることを象徴しているように感じます。

これが、例えば癌や脳梗塞であったならばそんなことを思う人はいないでしょう。
数日で治る風邪ですら、そんなことを思う人はいません。

しかし精神疾患はこのような風潮があるのです。
その理由としては、

  • ミスの開き直りに「発達障害なんで」という理由が安易に使われている
  • 「休みたいから精神科クリニックに行って診断書をもらう」というケースが増えている。

なおかつ、「精神科の診断自体が正しいのか?」と怪しまれれていることも増えています。
(実際に今本人の希望で上記の診断をするクリニックがあるのも事実です。)

こうした流れの中で、

精神科の病気を理由に許されている。その結果病気ではない人の負担が増えている
精神科の病気になった方が得だ

という構図、イメージが生まれつつあります。

この流れには、我々精神科医にも責任の一端があると思っています。

さらに、日本という国全体が貧しくなり、
生活面・精神面ともに余裕がなくなってくると、
他者への寛容性はより減ってきます。おそらく当面はこの流れは拡大していくでしょう。

結果として、分断が進んでしまうのではないか。
その点を、僕は強く懸念しています。

被害者・遺族の感情はどうなる?

ここが、個人的にいちばん大きな問題だと思っています。

医療観察法の話を聞くと、
僕はいつも少年法の議論を思い浮かべます。

少年法も医療観察法も、

善悪の判断が十分にできない状態・時期であれば、更生(治療)を優先し、社会復帰を目指す

という点で、根本の考え方は近いはずです。

しかし最近は、少年法に対しても、

未成年でも、犯罪は犯罪だろう
被害者の気持ちはどうなるんだ

という意見が強くなっています。

正直、僕自身もその気持ちは理解できます。

「未成年であること」
「精神疾患があること」

それだけで罪に問われないのであれば、
被害を受けた人や遺族の感情は、どこに行けばいいのか。

法律は感情に寄り添うものではない、
というのは理解してはいますが、僕は法曹の人間ではなくて精神科医ですから。

相手は判断能力を失っていたので、罪には問いません
治療を受けて再犯は防ぎます。社会復帰させます

と説明されたとき、納得できるのか。
僕には疑問が残ります。

もし自分が当事者だったら、
素直に受け入れられるとは思えません。

これは感情論に過ぎないかもしれませんが、
人間は感情の生き物です。

一人の精神障害者を救済する代償として、
何もしていない複数人の感情が置き去りにされてしまう。

この2つを単純に秤にかけることはできませんが、
個人的には、どうしても被害者側に感情移入してしまいます。

では、どうしよう?

僕の一つの考えとしては、

判断能力が歪んだ状態で重大犯罪を犯したのであれば、
治療を受けた後に受刑する、
ただし入院治療期間も服役期間として扱う

という形はどうだろう、と思っています。

判断能力がないから、受刑ではなく治療を優先するなら、
判断能力が回復したあとで罪に向き合うべきじゃないのか?

という考えがあるからです。

もちろん、ある種残酷な考え方でしょう。
(近い話がブラックジャックでもありましたね。)

社会復帰はより遠のくかもしれません。
受刑による社会的コストも増えるでしょう。

それでも、

いっそのこと、精神障害のあるなしに関わらず、
同じ刑罰を受けた方が、かえって平等なのではないか
と感じてしまう自分もいます。

精神科医は精神障害者の味方であるべきじゃないのか?

精神科医は、精神障害者の味方であるべきだ
という意見も、当然あると思います。

もちろん、僕もその考えには賛成です。

ただし、

精神科医は精神障害者の味方である
= すべてを肯定する

ということではない、と僕は考えています。

なぜならば、安易に精神科医がそうしてしまうと、

精神障害者 vs 一般の人

という構図がより強まり、
結果として、精神障害者の方が
さらに生きづらくなってしまうという問題があるためです。

そうならないために、
制度そのものをどう設計するのか

どこで区切るのか。
そこを考え続ける必要があるのだと思っています。

おわりに

医療観察法に関して、いち精神科医が感じていることを書いてみました。

書かない方が良いかなと思うところはあるのですが、
このような話題の中で、自分の意見を述べないのはある種卑怯かなと思い書いてみました。

最近、「医療観察法は人権侵害だ」と主張するネットニュースを見たのも影響があるかもしれません。

絶対の正解はないと思うんですよね。
最終的には「社会利益 VS 感情」の話になりますから。
でも考えることは大事じゃないかなと思っています。

ではまた。

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